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ONE AND ONLY KIM JUNSU

Qシアジュンスのオーラは,東方神起の軌道の外にある感じだ

-そうだろうか?

 


Q自由に見えるからだろうか?気取った様子がない。それはシアジュンスだけの感性であろうか?

-ライブする時も,アドリブをたくさんするほうだ。”ノノノフウオウオオ”'こんな風に。

だが私たちはチームであるからその枠組みを破ってはいけないから互いに気を遣う。難しいながらも最も重要な部分だ。


Q歌う時は,あなただけの歌を歌うのか?

-聴衆を考えて歌う。

Q私だけの歌と聴衆が望むこと。比重はどうなのか?それは一種の戦いでもある。

-そうだ。だが歌を計算して歌いはしない。理論は考えない。その日の調子,気持ちによって違う自然に流れるようにするんだ。

初めて'呪文(ミロティク)'ライブをする時はどこでブレスをするのかまで考えて歌っていた。

今は休む時にブレスするようになった。 ライブは録音に最も近くするのが良いが,それでは妙味が落ちる。


Q歌手としてあなたの自意識は声か?

-あえて分けようとするなら歌50,踊り50だ。歌がより好きとは限らない。練習生の時から常にダンスをしていた。どういうわけかイメージが...

Q 'born to sing'になった。

-ただ、ファンの中だけで言っていることだ。 忘れて欲しい。 踊りにも同じ情熱を持っている。


Q歌でどこまで行きたいのか?

-歌はずっと行きたい。音楽には百点がないから。


Q悪魔にあなたの才能の中の一つを全て渡すべきだとすれば,何をあきらめるか?声?歌唱力?感性?テクニック?

-テクニックだ。あえて必要ない。歌には優先順位がある。


Q 1番の順位は何か?

-感性だ。歌が上手いか下手かはスタイルの差だといえる。

持って生まれた声でどれくらい真心で歌うかが重要だ。まだ行く道は遠いが,そのようなマインドはある。


Q誰がシア・ジュンスを刺激するのか?

-ブライアン・マクナイトを聞けば腹が立つ。とても上手なので。


Qファンの中にスティーヴィー・ワンダー,キム・ポムス,シアジュンスを比較した人がいた。
"誰が一番上手ですか?私はシアジュンスが一番良かったです。その時だけ涙が出ました。"と言っていた。

-はは。 可笑しいですよ。

それは歌が上手とか下手でなく,自分に響いたことに対する称賛でしょう。

まず,その名前を私の口で話すことさえ恥ずかしい。 スティーヴィー・ワンダー,キム・ポムス氏と比較したとのこと自体が恐れ多いだけだ。

 

Q 2008年にはしたいことやり尽くしたと聞いた。

-願ったことは叶った。 目標以上を達成した。 事実,今回のアルバムを出しながらたくさん比べられた。

 

Q他のグループらと?

- "東方神起はもう最盛期が過ぎた。"という話を聞いていた。 コメントもそうだった。

1年7ヶ月空白が思ったよりも長かった。 体感でそう感じた。 以前にカムバックする時はそのまま'カムバック'だった。

今度は'私たちが上手に出来るだろうか?'と考えた。 ファンダムも,音楽も,文化も大いに変わったから。

その上"東方神起が韓国でもうまくいくだろうか?"そのような話が多く入った。 日本で1位をとったから。


Qダメだろうと思う人々がかなりいた。

-そうだ。 だがうまくいくか、いかないかに重点を置きはしない。
その部分は自信がなかった。 私たちが上手だと大衆にアピールできるのではないから。 時代とトレンドが合わなければならないのだから。

歌が流行るか、流行らないかは大衆の役割だ。デビュー後6年の間そうしたことを考える余裕も,必要もなかった。

東方神起が不在だった1年7ヶ月の間大衆の私たちに対する感覚がたくさん失なわれたようだと判断した。

だから"それでも私たちは東方神起だ。"それだけ見せようと心に決めた。それ一つは自信があって堂々とできた。

Q安易な呪文だ。

-そのようにでも考えなければならなかった。 負担が本当にはんぱなものではなかったから。 今であるからできる言葉だ。昨年には普通と違った。

Q昨日はあなたのファンページに行って来た。

そこは一種の楽園だった。彼らはシアジュンス中で平和と幸福を満喫していた。それも心より。

このように他の人たちを幸せにさせることができる人になった感じはどうなのか?

-良い歌,良い舞台.報いるべきことはそれしかない。

”私がこのようにするとこのようになるだろう”そうやって考えるのは難しい。私は、歌手だから、歌と舞台だ。

Q初めには,声だけ信じて始めたことなのか?

-契機はカンタ兄さんだった。 今でも芸能人を見てもまったく震えない。

幼かった時からそうだった。 本当に有名な女優を見ても何ともない。

Qキム・テヒも?チョン・ジヒョンも?モニカ・ベルッチを見ても?

-美しい人が美しいことは分かる。 ただ、この方は得が良くてそうしたんだろう。 しかし、カンタ兄は震える。

 

Q筆箱にカンタ兄さんの写真を貼っていたのか?筆箱に?

-筆箱? ああ。 その程度じゃない。 机に貼り付けた。

 

Qそれもこれも同じでしょう?

今でもカンタ兄さんを見れば震える。 その人と平然と対話する私の姿に未だに驚いている。 カンタ兄さんのおかげで歌手になったというのが当たりだ。

Q一昨日あなたがお昼で何を食べたのか知っている。ピザだった。

-そうだ。 どうやって知ったのか?

 

Q 'サセンファン'が知らせた。1月1日から10日までは休暇であった。会社は干渉しない休暇か?

-会社は関与しない。 'サセンファン'がする。 本当に気分が良くない。 とても利己的だと考える。

ファンであるからそんなこともあるかもしれないと言うが,個人的な時間まで。 それまでみんな.... その休暇を奪われたくはないから。

Q一年にぴったり10日か?
-
ちゃんとした休暇はそうだ。 だが家の前で待ってついてきて締め出すのが難しくて、どこに言っても気になって。

それが芸能人として体験しなければならない部分であることは分かる。 欲でもある。 だがファンたちは舞台でだけにしたい。

 

Qそのようなファンダムは,アイドルで暮らせば慣れることもあり得るのか?

-慣れることもあり得るだろう。慣れるということは,無感覚になることだ。だが慣れた私の姿が哀れに思えるだろ
う。

それで慣れないようにする。それはきっ抗した緊張だ。慣れれば私たちが大変なことだ。


Qあなたの自我は平和でしっかりとして見える。それで海が好きか?

-ヤシの木が好きだ。 ただ、心が安らかになる。

'異国にきた'そのような感じがヤシの木一つでぴったりくる。 休暇ならば都市より休養地を選ぶ。

海と温みが好きだ。'休息を取っている'というそのような考えがいいんだ。ヤシの木,日差し.そのような幻想がとても大きい。

Qアイドルは,アイドルという事実だけで無視されたりもする。

常に音楽を聞くが'東方神起の音楽をどこで聞けば一番幸せだろうか?'そのように考えれば答が出てこなかった。

-理解する。 どうしてもパフォーマンス中心の歌を歌ったから。 歩きながらでは無理があったかも知れない。

Qアイドルという自意識があるか?

-ある。 だが判断は大衆がすることだ。 そしてそれを変えるにはとても遠くまできた。

アイドルが悪いのではない。韓国がアイドルを考えるマインドが悪い。

Qなぜであろうか?

-分からない。 ジャスティン・ティンバーレイクやビヨンセもアイドルなのに彼らが実力ないとは考えない。

ところで我が国では、アイドルは実力がないと感じる。

大衆の視線が良くないから、多くのグループらがアイドルを指向しないで'アーティスト'と見られようとする。

Q東方神起はどうなのか?

-欲があるならばアイドルのイメージを変えたいのであり、東方神起がアイドルという事実を変えたくない。

アイドルが実力ないことではないとの偏見を破りたい。東方神起はアイドルだ。

Qそれは目標なのか?

-違う。アイドルだと呼ばれようが呼ばれるまいが,それは大衆の判断だ。

 

Q東方神起ならばすることができるだろうか?どのように考える?

- 'これをやり遂げれば実力があることだ。'そのような基準はないのだから。安住しないだけだ。

Qそれは芸術家の道だ.

-アイドルとしてあらゆる分野を100%充足させるのは難しい。 人気があってアンチもあって。 また開始がアイドルだった。

(この時,シアジュンスが注文したチキンが到着した。)

 

Qチキンがきた。

-チキン,最高に好きだ。 鶏で作った食べ物をみな好き。 本来はヤンニョンチキンが好きなんだけど。 これはフライドチキンだけどもおいしい。 サクサクしてる。

Q放送で,自身がどのように見えるのか神経使わないようだ。

-使わない。


Q大変なのではないか?

-大変じゃないとは言えない。だが得る事と失う事がある。

それは芸能人でなくどんな分野でも同じだ。私が持つことができないものを無理に持とうとすれば難しくなる。

欲だ。強ければ折れる。

持ったのがあるから,放棄もする。今歌手として,東方神起シアジュンスとして愛されることはとても幸せで好きだ。

だが生まれ変わるならば芸能人にはならないだろう。 2年前から考えていた。 やってみたから平凡に生きたい気持ちもあるし、自信もない。

歌も,平凡に生きながら気楽に歌いたい。

 

Q GQとのインタビューはどんな意味なのか?

-率直に雑誌を見ない。 ファッションには関心がない。 ファッションはユチョン兄さんが好む。

Q GQがファッション紙なのか?

- GQがすごいということは知っている。本当だ。

Q良い車に乗りたいのではないか?ポルシェのような。

-自動車にも関心がない。 男たちが運転をすれば当然持つ好奇心はあるが,名品も好きではない。

服を買うときは、着てみるのも面倒だ。芸能人としては私は本当に'ダメだ'

Q色々な面で雑誌に関心がない人だ。どんなものがシアジュンスを誘惑すれば心が揺れるのか?

-プロサッカー球団オーナーがきて'サッカーしてみない?'そうすれば揺さぶられるだろう。

マンチェスターユナイテッドでスカウト提案が入ってくればきっと揺さぶられるだろう。 生まれ変わればサッカー選手になるだろう。

トランクにサッカーシューズが四足,サッカーユニフォームだけ六着ある。 いつでも球を蹴れるように持って通う。 歌と代えることができるのはただサッカーだけだ。

 

Qすべての人々があなたを解き放ってくれるならばどこへ行くのか?

-ボラボラ

 

Qなぜボラボラにそのように執着するか?一二度でない。

-死ぬ前に必ず一度また行くと硬く決めた。ハア... その閑静さは言葉で表現できない程だ。

ベストインタビューコレクション

XIAH Press 1st Anniversary より

GQ

Q 歌でどこまで行きたいのか?
ー歌はずっとして行きたい。音楽は100点がないから。

Q昨日あなたのファンページに行って来た。そこは一種の楽園だった。彼女たちはシアジュンスの中で平和と幸せを満喫していた。それも心から。こんなふうに他の人を幸せにすることができる人になった感じはどうなのか?
ーよい歌、よいステージ。報いることができるのはそれしかない。”僕がこういうふうにしたらこういうふうになるだろう”そういうのは考えることは難しい。僕は歌手だから。歌とステージだ。

Q大変じゃないのか?
大変じゃないとは言えない。でも得るものと失うものがある。
それは芸能人でなくてもどんな分野でも同じことだ。僕が持つことができないものを
無理やり持とうとするとつらくなる。

欲望だ。強ければ折れる。
持っているものがあるから諦めもする。今は歌手として、東方神起シアジュンスとして愛を受けてることでとても幸せでうれしい。
しかし再び生まれたならば芸能人はしないだろう。2年前から考えていた。してみたから平凡に暮らしたいという思いもあるし自信もない。歌も平凡に暮らしながら楽に歌いたい。

JJ

Q明日地球が滅亡するとしたら何をしますか?そして何を食べますか?
ずっと歌っていたいです。一番最後に食べたいものは(迷いなく)ひつまぶし!!!!

ARENA

 

Q 大人の男だといえるのはどういう人だと思いますか?
それははっきり言うことができます。配慮する心のある人です。

Q人の気持ちを配慮できる人?
はい。そんな男が本当の男だと思います。できるかぎりレディファーストに心がけるとか。でもそれは女性に対してだけではなく男性に対しても同じで、配慮が隅々まで配れる人。そんな男が一番素敵だと思います。

 

2

NITKEI ENT

”強さ”と”悲しみ”は彼のアーティストの人生に伴ってきた考えでもある。今は”聴きたい”と思わせる声であるが”余りにも長かった変声期”はファンの間でも有名な話だ。苦悩という言葉を越えてそれは絶望だった”と本人は振り返る。
ー15歳から始まって高校2~3年までずっとでした。医者からは”もう終わりましたよ”と言われても全然よくならなくて音域が狭いのもそうだしちょっと高くしたらすぐに声が嗄れてとにかく全然よくならなかったんです。
楽に歌える曲だと思ってもだんだんと音が出なくなるんです。医者の”たぶん歌は歌えないからやめなさい”という言葉を聞いて泣いていました。

一般論だが成功する芸能人の多くが”ある時点に屈辱的な思いをしているものだ”ということを聞いたことがある。それはある意味バネになっているのだと。ジュンスにおいては明らかにこれがそうであるだろうと思って尋ねると”そんなに憤ったとは思っていなかったんです。”と肩透かしをくらった。”歌には自信があったから”一瞬に浮かぶカリスマ(笑)
この人の場合、憤りよりは自分に勝ったということが正解かもしれない。
ーあまりにたくさん言われてたから自分がラジオで話している声を録音して聞いたら本当に酷くて(笑)でもそうだからステージに立って歌いたいという気持ちがもっと強くなりました。当時、ファンからも”裏声が好きです”という手紙をもらったのも自信になりました。”ほら、そんなふうに悪いことばかりじゃないんだ”っていう。変声期の時、無理して声を出していたのが良くなかったかもしれないけど、それで自分の声がすごくおかしいっていうか(笑)個性ができました。そういうふうに思うと声のほうもだんだんと安定してきて僕にとっては奇跡のようでした。

SPUR

あえてそういう部分を隠そうとしたののではないのだが、努力や苦労というものを見せながら同情をもらうのなら良い部分や喜びを2倍3倍にして表現したいという思いが強いです。
なぜならば僕はプロだからです。ステージに立ってお見せする部分が全部でそこから観客を心から喜ばせることが結果だと思うのですね。
これは 明らかに私の哲学でもあり、信念からくる発想でしょう。アーティストとしてだけではなくて人生自体をどうやって生きるのか?という方法は毎日を肯定的に過ごすこと。そういう信念を持っているからそれがステージの上でもに出てくるものかもしれません。

VIVI

無人島で一人になっても私はやはり歌を歌ってるだろう。

ELLE
Q30歳になったとき、何をしていると思いますか?
ー今と変わりないでしょう。しかし後輩をプロデュースしているでしょう。40歳になったら歌が好きなおじさん。(笑)音楽関係の仕事をずっとしながらちょっと休んだりもして。歌いたいな~って思ったら歌う。そんな自由な生活がいいです。


モーツァルトプログラム中俳優たちが考えるモーツァルト

”天才的な音楽性ほどに自由を夢見て、ロマンを追求するモーツァルト!音楽に対する自負心と自信、愛に対する溢れるばかりの情熱が人々をして猜疑と嫉妬を呼び起こす。天才がゆえに幸せで天才がゆえに不幸な僕のモーツァルト!”

10asia
歌手になって得たものがたくさんある。いままで得たものを当然と思って失ったものに対して悲観していた。でもみんな同じなんだ。彼らは僕が失ったと思ってるものを持っているけど、また僕が得たものを彼らは持つことができない。だからどんな人であれどんな職業を持っていても得るものがあれば失うものもある。
やりたくないときもあるし。記者の方たちも自分と話していて申し訳ないと思うこともあるかもしれないけど記者だからしたくない言葉もする時もあるのではないか。はははは。そういうこと。結局はみんな同じくびきだ。
だから甘受しなくてはならない部分だと思って得たことに感謝しようと思うとむしろ余裕が出てきた。僕だけ辛いのではない。

3
PlayDB
Q シアジュンスとキムジュンスの差異点はあるのか?
ーない、同じだ。僕はシアジュンスと呼ばれてもいい。もちろん東方神起の時の名前ではあるけれども結局シアジュンスも僕だ。脱アイドルも夢見ていない。外国ではビヨンセもエンシンクもみんなアイドルだ。韓国だけアイドルに対する視線とイメージが限定されているようだ。もちろんアイドルのイメージは歌手たちが作ったと考える。アイドルのイメージを変えたいが僕がアイドルから脱したいとは思ってもいない。

Q20代の中盤であるがいままでたくさんの経験をした。歌を歌うときに影響を及ぼしているか?
ー歌を歌う時、本当に真正性をもって歌わないといけないと思う。簡単にやり過ごすことはできるけれども絶対やり過ごしてはいけない部分である。僕は僕の年にしては誰よりもたくさんの経験をしてきたけれども、それでも20代の感性であろう。30台にはその年の感じ方、40代には40代の感性を自由に歌へこめるだろう。

Singles

Qたくさんの困難に遭ってきたけれど一方では考えると平凡な人たちが一生涯成し遂げることができないものを為すことができたのではないか?27歳の年で名声を得たのだから
ーはじめはただ反対に考えていた。悲観的だったんだ。僕がなんで芸能人になったんだろうか。恋愛も気楽にできないしロッテワールドとかカリビアンベイにも行くことができなくて。平凡な人たちがすごく羨ましかった。僕だけじゃなくて他のアイドルも一緒だろう。アイドルはもっと規制が強いから。でも今思ったら得たものは見ることができないで失ったものだけを見ていた。友達の話を聞くと僕が当然に感じていたことたちに苦悩していたんだ。あは、結局みんな同じなんだなって思った。今から得たものに感謝しようと心を決めたら気持ちから変わってきたんだ。でももう一度生まれたら芸能人には絶対にならないだろう。それは確実だ。今の僕の生き方が嫌なのではなくて失ったものを楽しんでみたいから。

Q得たものの中で一番感謝するものがあるとしたら?
ー僕を人びとに知らせることができるということ。その方たちが僕を見て拍手をしてくださって愛してくださっているこの状況自体。一度の人生なんだからこんな生き方を味わうことができてあまりにも感謝する。

キムジュンス、アジアツアーコンサート
XIA TARANTALLEGRA DVD エンディングクレジット中

僕にとって本当に意味のある時間と経験でした。
このすべての過程に勇気が要りました。
今そのすべてのことを成し遂げることができるだけの勇気があったということが嬉しいのです。
たくさんのことが新しかったです。
私はソロ歌手として再び生まれて
たくさんのことを学びました。
8年が過ぎた後になってソロ歌手としてのステージの上に立つことになりました。
最初はソロアルバムを準備しながらたくさんの困難に遭いました。しかしこのすべての困難にもかかわらず皆さんたちに会うためにこのアルバムが必要だと考えました。
私にはそれが始まりであり当時に準備過程でした。
ファンたちは私が続けて活動することができるように勇気をくれる存在です。
事実音楽は聴いてくださる観客がいなければ大きな意味がないものです。
僕にとってファンというのは、僕がずっと歌う理由です。
僕が愛してる人たちが僕の歌を聴いてくださる今、僕は幸せです。
僕のファンの方たちは他の誰よりも忍耐の心があって耐えることを知っている人たちだと思っています。
ファンは僕が今ここにいる理由であり、ずっと進んでいくことのできるエネルギーの源泉です。
そんなファンの方たちに差し上げる言葉はただ、感謝しています、ということです。
最善を尽くして公演をしてもっと熱心に努力します。みなさん方にもっといろいろな姿をお見せしたいです。
もういちどありがとうございます。


シャディ ヨウビ映像最後の場面中

”幸せ”は僕が得ることができないものを夢見るよりもね、
今持っているものに感謝することから得るものだと思うんです。
僕を幸せにしてくださるファンがひとりでも100名でも
僕を訪ねてくれる舞台さえあればそこ場所で最善を尽くして良い公演をお見せするでしょう。
僕の音楽を愛してくださる人がいるなら
波のように風のようにどこへでも飛んでいって歌うでしょう。
今日、このように僕によって幸せだと言ってくださるここにおられる皆さん方と
ともにできることができて嬉しいです。
本当にありがたくて感謝しています。

 

4

サイワールドミュージックー
ワールドクラスボーカリスト ジュンス(XIA)の推薦音楽

 

10.十年二十年後のシア・ジュンスはどんなアーティストに成長していそうですか?
あるいは本人が願う未来自身の姿は? このような音楽をしているようだ、人々にこのような歌手として記憶されれば嬉しい・・.
どんなものでも! -?


私は10年後がとても遠く感じられません。 事実近い未来だと考えます。
そして当然私は何かに挑戦しているでしょう。 一生挑戦を止めないですから。
格好良く年を重ねていく30代後半のアーティストになるといいですね。
その時まで人気があったアーティストだったらいいなという考えは全くなくてそれよりはその時も私は何かの挑戦に恐れないで音楽を愛して舞台で最善を尽くすそして人生をもう少し知るようになった格好良く年を重ねていく人キム・ジュンスだったら嬉しいだろうそのように思います。

 

タランタレグラファンミーティング中コメント

Q9年間ソロアルバムを待ってきたのですが、待ってきたファンの方に一言お願いします。

9年で出したのですが.. 予想よりは私としては色々なそんなたくさんの変化がありながら私が思ってたのに比べるとちょっと長くかかった感じが確かにしますね。確かにあるんですけど。でも事実その中でも私がまた、こういう話をすればちょっと悲しくなってしまうことはあるんですけれど。 今は大丈夫です。私は、本当に今はメンバーたちも以前にはこだわったてたけれども事実今は、率直に今放送を出るということになったとしても.. 芸能はちょっと出てみたいことはあるけれども 率直にこの頃放送プログラムはそんなには出たくありませんね。 率直に話せば。すごく、はい。それで、でも以前にも私が話したようにできるのにしないのとできないのは全く心理的な次元で違うから。

ちょっとそんな中で私もかなり期待していた、待っていたソロ アルバムを出すということが事実凄く心配が多かったし。
初めは寧ろ代表様が先に提案をされたのに私が断りました。どうしてかというとそうやって出す私のソロアルバムは出したくないと言ったんです。 もっと良いものをお見せしようとひたすら待っていたのがあまりにも長くなってしまって..

またミュージカルということはどうしても多くの大衆の方々と疎通するのに限界が確かにあって。 そうだからといってドラマをするには明らかに危険負担もあって、危険なくそれなりにできるとしても自分自身がそんなにありがたくありませんでした。 なぜなら事実ドラマというものを私が後でチャンスがあるならばすることはできるでしょうけれど、アルバムと比較をした時は当然アルバムを選択したいということですね。 ところでそれを私も秤にかけている自分の姿を見て、自分自身にちょっと.. この状況がかなり辛い大変なことなんだな.. 私がこれがあまりにも歌手活動が辛いんだなと感じて演技活動までも考えようとする自分自身が本当に・・・そうだったんですよ。

私は本当に歌が好きなんですよ。 歌が好きで。 ミュージカルも演技だけなら私もかなり敬遠したのに、歌ってみることができる歌があるというのがあまりにも良かったし、それだからはじめたことで。

とにかく遅れたと思ったけれど、でもまた、今回アルバムを出して見ると私がもし何年か前に出したならば今のように私がしたかった音楽を絶対に書けなかったし込められなかっただろうし、それは結局誰かが作ったソロ アルバムであって私が描きたかった、私がファンの方と疎通したかった音楽ではないから。 それだけまた重要なソロ アルバムだから今出してよかった・・嬉しいって考えることもできるという思いを持つようになりました。

 

いろいろ、本当に今回のアルバムにおいては・・

事実このアルバムにあってそのような状況はあまりにも私に悲観的だったんだけれど、それでも今9年の間このようにずっと応援してくださる皆さんがおられるから、本当にただそのことひとつだけが、本当に私に力になって出したようです。ただそのことひとつが。それで事実このアルバムを出すことになったのはすべて皆さんのおかげだということをお話したいです。 ありがとうございます。

キムジュンスがセカンドソロアルバムをひっさげて帰ってくる。

夏の夜に似合うアルバムだ。

熱いがソフトで真摯であるが重く感じる必要のない

唯一無二な若者がその中にいる。

 

 

この日のBGMはMikaからBruno Mars、Taio Cruz、Foo Fighters、Calvin Harris、Adele、Jason Mraz、원티드(Wanted)、ジンヘリムへと続いた。 撮影の主人公が直接選んだプレイリストだ。 その合間合間に100m外でも誰なのか知ることが出来るような特有のハスキーなボイスが混ざって聞こえてくる。 半日がふわりと越える撮影時間の間水を飲んだり冗談を言うように引き続き歌を口ずさむ彼はJYJのキム・ジュンスだ。

もうすぐセカンドソロ アルバムを持って帰ってくる彼が<マリクレール>の表紙を飾った。

 

その間彼は忙しかった。 昨年この時期、JYJのジュンスとはまた違った自分だけの色を見せたキム・ジュンスのファーストソロ アルバムはビルボードと日本itunesを含んだ各種チャートで驚くべき順位を記録し、ソウルから始まってインドネシア、タイ、中国、香港、ニューヨーク、ヨーロッパ、チリ、ブラジル、メキシコなどにつながったワールド ツアーも持った。 また、彼はミュージカル舞台でもエネルギーを吐き出していた。 大型のミュージカルでチケット パワーと実力をあまねく証明したキム・ジュンスはもうミュージカル界の保証小切手になった。 彼がミュージカルに出演したのを基点に、韓国のミュージカルが国外に広まる動きが生じるほどだなんて驚くほかない。 このすべての話で平凡などとはなかなか見つけるのが難しい。 デビュー以後一度もスターでないことがなかった彼は今でも依然として強力な力を持つスターだ。 しかし同時に今まさに本格的に自身の道を選択して責任を負おうとする素敵な若者でもある。 この男がどんな道を選択するのか、いままさに今年はどんな'事件'あるいは'現象'を作り出すのか、期待してみようか? まず、今回のソロ アルバムが気になる人が多いだろうと思う。ちょうど1ヶ月さらに待てばわかるだろう。 それより先に、ここに続く鮮明な返事で数種類ヒントを得られるはずだ。

 

Q:カムバックの日までもう少ししか残っていない。 今どんな気持ちか気になる。 

 

A:去年初めてのソロアルバム<TARANTALLEGRA>を出した時はどうしても負担感が大きかった。 私としても初めてだったが、JYJの中でも初めてでソロ活動をすることだったために他のメンバーのためにもスタートをよく切りたかった。 アルバムを出してワールド ツアーをして帰ってくると考えが肯定的に変わったし無限のエネルギーを得た。 自信もできた。 ソロ1集を出す時必要だったのは勇気であった。 今は欲がさらに強い。 1集と引けをとらないほどのアルバム、あるいはそれ以上のことを入れたアルバムを作りたい欲のことだ。 今の時点ではっきりと話できるのは1集とは全く違う感じのアルバムということだ。 シングル アルバム<UNCOMMITTED>とも違う。

 

Q:今回のアルバムに対するヒントを。 

A:私はやはりまだ具体的に話せないというのが残念だ。 全体的には今までしてきたように多様なジャンルを入れるつもりだが、1集よりR&Bやヒップホップの要素がもう少し強い。 スイングやジャズの感じが出る曲ものせようと思う。 まずタイトル曲は多くの方々の意見を反映して最終的に私が決めたが、以前にもらって宝物のように持っていた曲だ。 今回のアルバムを準備するくらいに久しぶりにその曲が突然聞きたくなった。 ところで聞くやいなやその場で決定することになった。 曲をもらった時も好きだったが、その日聴くともっと好きに感じられた。 夏に似合う曲だ。 熱い夏の日楽しむパーティーのようなアルバムになるだろう。 1集よりは重みが少ないが、かと言って過度に明るかったり軽いだけの雰囲気ではない。 その境の重点をよく探すことがカギであるようだ。

 

Q:永い間暖めて出てきたアルバムだった1集と比較すると2集は進行過程がはやかった。 個人的にリフレッシュする余裕はあったか? 

A:幸いなことに私はオン/オフが確実だ。 仕事をする時と休む時の私は明確に違う。 3ヶ月余りの休息期間を送った。 休む間曲も書いてモルジブに旅行も行ってきた。 男4人で!

 

Q:それは別にうらやましくない。(笑)

 A:ところで男どうし行ってもとても良かった。 私はほとんど海の中で生きた。言葉にできない海の色だった。 都心よりは休養地が良い。 海があり、夕焼けがあって、ヤシの木がある風景が好きだ。

 

Q:キム・ジュンスの2集アルバムやはり都心よりは休養地に持っていかなければならないアルバムであるようだ。 

A:そう、そのとおり。 浜辺のほとりでカクテル飲みながら聴くといい音楽だ。

 

Q:熱い国のファンたちも喜ぶね。 

A:情熱的な曲だから!

 

Q:異国の空港に降り立った時ものすごく多くのファンたちが自身を待っている姿を見ればどんな気がするか? 

A:とても不思議だ。 私たちを知っていることも不思議だけれど、公演をしてみればさらに不思議だ。 韓国語歌詞の歌をみな付いて歌うから。 その上JYJの音楽は音源で聞かない以上、放送のようなところから接しにくいのではないか。 ところで旅行に行くのも大変な地球反対側に私たちの歌を全部付いて歌うファンたちが存在するというのを実感する時、疲れてはならないという決心を再確認することになる。

 

Q:今日撮影のバックミュージックを直接選曲してきたが、さっきケリー・チャンの'Lover's Concerto'が出てくる時した話がおもしろかった。 

A:雨の降る日、それもとても気持ち良い雨が降る日車の中で聴かなくてはならない曲だ。 ただの車でもなくて、必ずタクシーの中でなければならない。 前座席には外国人タクシードライバーがいて(笑),雨がポツポツと降っているのに都心の中建物の間に日が沈む姿が見える時、その音楽が流れる。 その曲を聞くたびにヨーロッパが描かれる。 場面をちょうど作り始める。 パリ凱旋門の前の八車線道路にいて、道は完全に渋滞している。 片方道路は相次いで止まっている車のリア ランプのためにすべて赤い色だ。 それを私が後から見ているんだ。 日は少しずつ薄暗くなり、良いようなことも、悲しいようだったり、ときめいたりもする気持ちになるんだ。

 

Q:非常に具体的だ。(笑)曲に接近する方式がおもしろい。 本人の曲を解釈する時もそのような形でイメージを作るか? 

A:'UNCOMMITTED'を初めて聞いた時風の感じを思い出させた。 'TARANTALLEGRA'は火の感じだった。 ファンタジーのような風景を思い出させた。

 

Q:ボーカリスト キム・ジュンスの強みは何だと考えるか? 

A:音楽に対する能力値に音感、音色、テクニック、ダンス、リズム感などなどがあるならばその中で私の強みはリズム感だと考える。 このように話せば自慢のようだが、私が考えてもリズム感は大丈夫であるようだ。(笑)一拍子の中にも若干の押し引きがあるのだが、わざわざ意識しなくても自然にリズムを押し引きするのに自信がある。 リズム感を生かすことができる音楽をする時おもしろくて気分がいい。 昨日も練習をして、身についていなかったリズムを新しく発見した。 この拍子ちょっと変だな、って思いながらおもしろかった。 '初めて会ったリズム'だった。

 

Q:生きていると、そして年を取っていくと、感性は思ったより簡単に死ぬ。 アーティストには感性を起こすための刺激が常に必要だと思うが、あなたの感性を守って起こすのは何か? 

A:そうだ。 年を取るほど現実主義者に変わって、そのように見れば想像力や挑戦意識が落ちるようになることもある。 それがアーティストには致命的だ。 ところでアイロニーにも年を取って積んだ経験が今私の感性を守っていたりもする。 音楽に対する時私が持つストーリーを思い出させる。 歌は演技と同じだ。 その中に没頭しなければならない。 誰かを誘惑する歌詞の音楽ならば本当に誘惑しようとする気持ちで歌わなければなければならないと考える。

 

Q:ミュージカルはキム・ジュンスにどんな意味なのか? 

A:<モーツァルト!>は私が再び舞台に立てるようにした作品というのに意味がある。 2009年に大変なことを体験しながら人間的に傷をあまりにもたくさん受けて舞台が恐ろしいというより世の中が恐ろしかった。 ただ苦しくて悲しかったが、この作品で再び私が立つところはステージだということを知るようになった。 また、ミュージカル ナンバーが皆私の心を代弁するようだったし、全世界をひきつけた天才音楽家モーツァルトの暗い内面を話すことがアーティストとして良い契機になった。

 

Q:<エリザベート>の'死'という難しいキャラクターを若くてセクシーに消化した過程も気になった。

A:事実<モーツァルト!>をしてからミュージカルにどっぷり浸かってほどほどの作品はほとんどみな見て歩いた。 それと共にもう少し考えが広くなった。 ミュージカルはすべての俳優が精巧に生きて動いてエネルギーを集中して発散しなければならない。 私が選択した方法は練習に忠実にして答えを探していくことであった。 他の人がキャラクターを準備する姿をつくづくと見た。 劇に出てくるすべてのキャラクターを理解して私のキャラクターを作っていった。 非常に情熱的で楽しい作業だった。 今回の8月に<エリザベート>アンコール舞台に上がる。 事実主演男優賞を受けてより大きい責任感を感じて色々な作品を悩んで調べた。 ところで20代に俳優がすることができる作品が多くなかったね。 それではやく30代になりたい。 この作品をまたするならば初演を跳び越えるキャラクターを作り出すべきだと考えたし、自分ではソロ アルバム活動と時期が重なるけれども、もう一度<エリザベート>の'死'というキャラクターを着てみようと思う。 

 

Q:去る10年の間良かった経験もあって、悪かった経験もあるだろう。 私達が知るのもあって、分からないのもある。 その経験が皆意味が有ったと考えるか?

A:まだ二十八才にしかなっていないけれど、悪い経験は20代始めにすべてしたと考えたい。(笑)ところで無駄な経験はないようだ。 良い経験だけあったとすれば人生に対する準備にならなかったと考えるようになった。 とても多くのことがあったし、あまりにも多くのことを習った。 三十才になるまで2年残ったが私に20代は、私が好むと好まざるにかかわらず、学習の10年だった。 30代、40代、そして今後残った人生の方向を思いのままにする10年だと考える。 

 

Q:その10年の間あなたはかなりしっかりとしたようだ。 

A:ところでチームの末っ子だったためか、まだファンたちは私を'ウチュチュー'という雰囲気だと思っている。(笑)融通性ある自分の中心がなければならないようだ。 周囲の話にだけついて行けば中心が揺れるだろうが、私が考えることだけ答だと考えれば発展がない。 融通性のある中心の中で少しずつうごめくといわなければならないのか? あ、今回チョ・ヨンピル先輩の'バウンス'という歌を聞いてたくさん驚いたしもう一度考えた。 私の色を守りながらも年を取ってもその時代が願う音楽をする歌手になりたいという考えだということだ。 

 

Q:この頃再び活動を再開した神話を見ればおもしろかったり、素敵な男という気がする。 JYJの三人の男も熱い本当の話を交わすことができる関係になったようだ。 JYJの10年後はどんな姿か想像してみたか?

A:その方たちにこういう話を聞いた記憶がある。 一人でいる時は三十代初中盤のその年齢のようだが、神話で一つになればまだ高校生のようだという話だ。 あまりにもそのように関わりあって一緒に育ったから。 JYJも全く同じだ。 各自離れている時はそんなことないが、三人が一緒にいればすごく幼稚になる。(笑)いたずらも激しくなって、笑わせたい本能が生き返ってらおかしなこともすることになって、三人皆声がかなり大きくなる。 10年後? 全く同じだったら良いだろう。 今回春夏秋冬の先輩が<ラジオスター>でした話を聞いてJYJもあのようになったら良いと考えた。 コスペラーズという日本のアカペラ グループを見ればメンバー全部結婚をして、婦人と子供もいるのに依然として一つになって家族間でも親しい。 そのような姿を見てちょうどあのように老いたいと考えた。 

 

Q:以前にしたいくつかのインタビューで"アイドル イメージを脱離しようと努力するよりは韓国でアイドルを眺める視線自体を変えたい"という要旨の話をした。 この考えにも変わることがないか?

A:そうだ。 アイドルというのはその時代に最もホットでトレンディーな音楽をする歌手であり、一方では歌と踊り、企画型パフォーマンスで時代を先導する人々だ。 無条件幼いといってアイドルでもなくて、年を取ったといってアイドルではないのではない。 韓流コンテンツが全世界で大きな愛を受けている。 それだけ私たちの大衆歌謡が持つ力があるということだ。 なおさらアイドル グループが消費的に消耗せずに自尊心を守ってずっと発展しなければならないと考える。 そのような責任感が私と私の同僚に明確にある。 

 

Q:今年の初め東京ドーム コンサートも意味ある場所だったようだ。 その過程が容易ではなかったから。

A:3年ぶりの正式日本活動であり東京ドーム入城だ。 東京ドームを貸館できなくなった以後に、東京から三時間程度離れた野外公演会場で公演をしたことがある。 そこまできて下さったファンたちに感謝したし頑張ることができる原動力になったが、一方ではそこまでくるようにして申し訳ない心だった。 再び東京ドーム舞台に立てるか漠然としていたが、劇的に仕事がうまく打診された。 事実東京ドーム公演が進行される途中いつでも取り消しになることもあり得ると考えた。 そのように心を治めておかなければ仕事が間違った時衝撃がより大きいから、たびたびこういう考え方をした。 ところで幸い舞台に立つことになった。 感慨が格別だった。 最後の日にはうるっとしたりもした。 

 

Q:今持っている恐れもあるか?

A:恐れはない。 恐れというよりは漠然といつまでこのように愛されて音楽活動をしていくことができるんだろうかという考えをしてみたことはある。 私たちに大きい変化があって3,4年の間ファンたちに受けた愛があまりにも大きいので、今は人気を期待して音楽をするよりはその時間受けた愛に報いる番だと考える。

 

Q:他のミュージシャンやアイドル メンバーがこのような話をしたなら当然に聞こえるであろう。 ところでそれがキム・ジュンスあるいはJYJの話ならば少し違うように聞こえる。 

A:自分にも色々な役割がある。 私はキム・ジュンスであり、XIAでJYJのジュンスで、両親の息子で背番号12番のサッカー選手でもある。 そのたびに私を分離することはできない。 皆が同じ私だ。 にせ物は嫌いだ。 どんな状況でも真心であろうとし、楽しくて肯定的に最善を尽くしたい。 だが、ミュージシャン キム・ジュンス、XIAである時は数多くのファンたちが私を愛してくれてるだけに少しは'私'自身を犠牲にしても良い。 舞台だけは何も考えないで心より歌いたい気持ちだけだ。

               ONE AND ONLY

      KIM JUNSU

2013.6.

マリクレール7月号

GQインタビュー

 

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